Seeing and Writing (from Writing Space)
ジェイ・デヴィッド・ボルター「見ることと書くこと」
初出
Writing Space: The Computer, Hypertext and the History of Writing, pp.63-81. Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum Associates, 1991.
日本語訳書籍
ライティングスペース 電子テキスト時代のエクリチュール(黒崎 政男 (ほか訳),産業図書, 1994.6)
Futher Reading
Bolter, Jay David and Richar d Grusin. Remediation: Understanding New Media cambridge: MIT Press. 1999.
Bringhurst, Robert. The Elements of Typographic Style. Vancouver, BC: Hartley and Marks, 1992.
Drucker, Johanna. Figuring the Word: Essays on Books, Writing, and Visual Poetics. New York: Granary Books, 1998.
Gill, Eric. An Essay on Typography. Boston: David R. Godine, 1988. Photo-lithographic copy of 1936 edition , pub. Sheed and Ward.
Hendel, Richard. On Book Design. New Haven, CT: Yale Univers ity Press, 1998.
Introduction
J. David Bolter(ボルター)は、Richard Grusinリチャードグルーシンとともに「リメディエーション」と名付けたプロセスにおいて新しいメディアの変化が既存のメディアに対してどのような影響を与えるか探っている。新しいメディア(コンピュータの画面)の理解には、ウィンドウのレイアウトの再計算のような「真に新しい要素」と図表など従来のメディアから存在する「模倣的な要素」に分ける必要がある。そして、現在のメディア環境は新旧のメディアが密に関係しているため、特定のメディアの理解には幾つかの関連作品の研究が必要である。 本文
印刷時代のテキストは各文字を視覚的に最小化するために行われていた。加えて、タイポグラファーの目的は文字を目立たなくさせ読者の気を散らさずに読者に文章を読ませることが目的だった。しかし、印刷技術を超えた今、文字そのものやレイアウトとの変化を無視することはできなくなった。コンピューターでは作家が独自のフォントを作成したり、絵画的要素を新しい手法で展開したりする機会により文字システムの発展が再び加速すると期待されているからだ。また、レイアウトにおいても、紙媒体の発展で文章に2次元性が取り戻され、コンピュータでは、アニメーションや絵画的、アルファベット的、数学的な文章を1つの全体像に統合できるようになった。
1.機械的な文字
印刷による文字の入力は、手書きと異なり文字の書きやすさを必要としない。そのため、書きやすく読みにくい略字や合字の有機的な美しさは、鋳型による精度の高い活字に取って代わられた。鋳型の製作の簡易化によってさまざまな書体を使えるようになったが、過剰なデザインに反発したタイポグラファーによってHelveticaやFuturaのような無駄なストロークを排除した書体を作り出した。印刷は、16世紀から18世紀にかけて文字の形が安定しその後ほとんど変化していない。ある意味で凍結されたメディアである。対照的に、コンピュータは、印刷の補助として、あるいは別の文字空間として使われることで、この安定性を強化することも、タイポグラフィの伝統全体を一掃することもできるのである。 2.電子文字
シンプルで装飾のない数学的に正確な傾向のある印刷時代に、機械化を嫌うWilliam Morris(ウィリアム・モリス)は写本時代の装飾や有機的なフォルムへの回帰を目的に工業時代の技術を用いた。結果、目的の初期印刷とは異なるページへの過剰なインクの書き込みや装飾や持つものを作り出した。モリスの成果は、反対していた近代的な技術を称賛する、一種の技術的ノスタルジアであった。 同様のノスタルジアは、ワープロにも表れている。ワープロによるテキストの表現は、印刷機の美的基準を振り返るという意味で、ノスタルジックなものである。しかし、電子媒体による完全なグラフィックの自由によって、訓練を受けていないユーザーがグラフィック・デザインの暴動に耽溺することを許している。新しい電子的な文章空間において、タイポグラフィやグラフィックの質が低下するのは避けられない。なぜなら、コンピュータは、ユーザーが自分自身のデザイナーになれるという民主的な感覚を助長しているからである。対照的に、印刷時代では作家とタイポグラファーは別々に存在していた。印刷の時代には、タイポグラファーは特別な道具とそれを使う技術を持っていて、ページのレイアウトを決定していた。
電子フォントには2通りの作り方があり、1つは拡大した文字の写真をトレースしてデジタル化する方法である。もう一つは、数学的に新しい文字を生成する方法である。文字の幾何学的な定義のアイデアはルネサンス時代に遡るが、当時は定規やコンパスなどを使ったものだった。コンピュータでは画面上の文字の番号のついた点もしくは線の集合によって決定される。これは機械的な印刷時代には決して成功しなかった文字の数学化の勝利であると述べる。
3.電子ページ
印刷物におけるタイポグラフィは書体でほとんどが決まる。対照的に、手書きのページはある意味で印刷されたページよりもデザインの自由度が高かった。文字の大きさやスタイル、インクの色、セクション番号など、中世に開発され、印刷の時代になって標準化されたものである。
レイアウトの変遷は大きく3つに分類される。
中世・マージナル・ノート(余白の記録)
中世のテキストは、ページ上に2層以上に分かれて配置されることが多かった。ページの中央部には、より古く由緒あるテキストが掲載され、余白には、一人または複数の学者による説明や解説が加えられていたのである。マージナルノートは、読者が何を見るべきかを示し、その作業を常にサポートするものであった。
印刷時代のテキスト
注釈を何世紀にもわたるテキストの誤読の重荷と感じたルネサンス以降の読者は、印刷業者はこうした解釈材料をページから排除し、テキストが書き込みスペース全体を占め、それ自体で語れるようにするようになった。注釈はページの下に移動し、最終的には本の後ろに置かれるようになった。しかし、現代の印刷会社は注釈を排除することで、中世の読者が余白の注から得た、参照への即時性、視覚的・知的文脈の感覚の両方を犠牲にした。
電子画面
電子テキストが、即時性と文脈の両方を取り戻した。
ウインドウを「タイル状」に配置に配置することで1度に2つ以上の平面を見ることができる。また、「積み重ねる」ことによって2次元の積み重ねになる。
ハイパーテキストを閲覧する場合、ウィンドウは構造的な意味を持つ。リンクをたどると、ウィンドウが現れたり、消えたり、並べ替えられたりして、目的のテキストが画面の前面に出てきて読者の注意を引くことができる。 従来の印刷されたテキストや原稿では、読者の目は文字に沿って動き、場合によっては画像の間を行ったり来たりするが、文字や画像自体は静止したままである。対照的に電子テキストでは、文字に固定されたレイアウトはなく、読者の視線と文字面の両方が動く。
4.文の中の絵
絵とテキストは電子的な文章において、同じバイナリコードに変換できることから同じ空間に属している。このような電子空間の統一的な性格は文字の歴史上珍しいものだ。テキストと絵が親和的でなかったギリシャ・ローマ時代では本の装飾の重要度は低かった。古代末期の書物における絵の重要性の高まりは、中世との関連性を示している。中世の写本は、言葉、絵、イラスト、装飾が複雑に絡み合った空間であり、電子メディア以前では最も複雑なものであった。中世の書物には文字空間を装飾する、中世の文字に特有の装飾文字が作られた。
中世の装飾文字は文字と絵の機能を同時に持っていた。装飾によって文字は絵や抽象的なデザインにされ、中には読むことができないようなものもある。その例としてケルズの書が挙げられている。文字は世界を記述し、あるいは囲い込むための手段であり、言語を通じて象徴的に、しかし、文字の形を通じて視覚的に世界を表現するものだった。このような中世の写本におけるテキストと絵の関係はコンピュータの画面上と同じように統一されていた。 5.図式的空間
ダイアグラムは、表音文字が発明された後にのみ存在しうる一種の絵文字である。これは、各要素が明確に定義された参照先を持つ体系化された絵であり、絵の要素を持つ言語的な文章である。線分図や樹形図など、説明の補助としての抽象的なダイアグラムには長い伝統がある。
原稿や印刷物に描かれた図はすべて静的な表現である。しかし、電子技術によって、流動的なテキストと真にアニメーション化されたダイアグラムが誕生した。アニメーションは単なるギミックではなく、離れた要素を結びつけることができ、その結びつきが概念的にアクティブになりうるという、電子文章のハイパーテキスト的性格を再び明らかにするものである。
一般的なコンピュータの表計算ソフトは、アクティブなダイアグラムの一例であり、まさにハイパーテキストの一種と言える。表計算ソフトについて、単に列や行に言語によるラベルが付いているというだけでなく、そのセルが相互に関連する変数の値を保持していることが文章と言えること、言葉のテキストと同様に、記号的な構造であり、記号的な操作に開かれていることなど、文的な側面を持つことが述べられている。
6.ナンバリング空間
表計算ソフトは、言語による文章と数学的な図やグラフの中間に位置する。グラフは長い間、絵による文章の重要な形式であり、18世紀以降、実験科学のデータに適用され、その地位を着実に高めてきた。コンピュータがグラフを描き、分析するための理想的な空間であることは驚くには当たらない。
ユークリッド幾何学の記述空間は、数そのものを幾何学的にとらえた合成空間であったが、17世紀から18世紀にかけて発展してきたデカルト幾何学の記述空間は、番号が振られている。現代のグラフは、印刷された本や手書きの本の言語空間とは異なる空間に属している。言語空間では空間的な関係は重要でないことに対し、直行グラフでのその重要度は高いものである。実は直交グラフでは、要素間の空間的関係だけが意味を持つ。 科学的図形を書くときには、科学者が空間のパラメータを決定する。また、データを様々な角度から見るために、何度も番号を付け直すこともある。科学的グラフの場合、科学者(書き手)は自分が何を読むことになるのか事前に知ることができない。そして、このような科学的図形の書き手は言葉の書き手に似ている。この状態はシュルレアリストたちによって実践された自動筆記と比較することができるかもしれないが、その自動筆記と違い、科学の自動筆記では世界と記述空間の間にコンピュータによるコントロールの層が課される。空間そのものが、そこに課された番号付けによって規律づけられているのだ。 7.図形修辞技法
番号付きグラフは言葉による文章の代替物ではあるが、グラフと文字による文章空間との間の障壁は決して絶対的なものではなかった。グラフにおけるグラフィックデザインとタイポグラフィの歴史は、数字による空間と言語による空間が共存するだけでなく、相互に浸透していることを示している。
現代のグラフィックは新聞、雑誌、テレビでよく見られる擬似グラフのように、絵と科学的なグラフを組み合わせることに専念しているようだ。それらは、空間のナンバリングがあまりに縮小されて、修辞的効果のための飾りとなり、グラフは、芸術や建築の退化した伝統のような自然主義的形態に分解されている。このような19世紀の偉大な視覚的修辞から今日の新聞の擬似グラフへの転落は、同時代の言語的修辞の衰退を反映しているのかもしれない。
最悪の場合、印刷されたページはしばしば疲弊しているように見える。まるで、色や形の乱雑な表示によって自らの活力を納得させようとしているかのように。しかし、印刷物は、言葉、画像、番号付けされた要素が一つの空間を容易に占有する、電子文章の新しい視覚的レトリックを先取りしているのだ。
印刷物や原稿の作者も、自分のテキストが時間の中で展開することを考えなければならないが、読者のペースをコントロールすることはほとんどできない。アニメーションを選択した電子作家は、スクリーン上のテキストとイメージを調整することができるため、読者の時間的体験に対してより大きな責任を負わなければならない。